煩悩パラダイス

フリーランスライターの日々の雑記帳

「後ハッピーマニア」を七夕の夜に読んで思うこと@自宅

本日(7月7日)発売の「フィールヤング」に、「後ハッピーマニア」が掲載されました。16年前の「ハッピー・マニア」の続編。

 

午後からの打ち合わせが夕方へ変更になったので、「ラッキー」と午前中から本屋へ走り、久しぶりに月刊誌を購入。

 

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ハッピー・マニア」の連載当時は中学生だった私も、現在はいいオトナ(アラフォー)になり、

「ようやくフクちゃんとシゲカヨに追いついた……。続編は同じ目線で読めるのね」

と感慨に耽っていたのです。

なんとなーく、「後ハッピーマニア」は、「ハッピー・マニア」終了から5年~7年くらいの話かな? なんて漠然と思っていたのです。

 

甘かった。

きっちり16年後のお話でした。

シゲカヨ45才!!!! あと5年で50才!!!!

 

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少女漫画で「主人公45才」ってある? そもそも「有り」なの?

驚きと同時に、すごくワクワクして嬉しくなりました。

「シゲカヨはこれからも、ずっと私の先を走ってくれるんだ……!」

って思ったから。超えられない壁。いや、超えちゃいけない壁?

 

年齢を重ねたシゲカヨ&フクちゃんは、最初からへビイかつぶっ飛ばしていました。

読んでいくうちに、「ハッピー・マニア」の(私的)名言が頭の中に蘇る。

 

「震えるほどの幸せが欲しい それはどこにあるのかな」

「男も女も浮気する 一人じゃ足りないから」

「他のやつよりは多く埋められるのかもな… でも完璧じゃない」

「そう、完璧なヤツなんていない」

「永遠の愛なんて誓えない」

「本当はこの世の誰もそんなの誓えない」

 

私が「ハッピー・マニア」を繰り返し読んでしまうのは、よくあるような「紆余曲折あるものの、最後は相手と結ばれて(もしくは別れて)お終い」ではないから。

愛だの恋だの日常生活だの、そこにある幸せに浮き沈みは必ずあって、それは生きている限り続いていく、ということを突きつけられてしまうから。

 

時には渋滞する車の屋根を走るシゲカヨ。フクちゃんのマンションの窓から逃亡するシゲカヨ。

その妖怪じみた行動は恋愛漫画に不似合いなのに、「恋愛の現実」についてはどの漫画よりもリアルだと思う。

 

ハッピー・マニア」と「後ハッピーマニア」の違いは、独身時代と結婚後のハッピーの求め方。取り巻く人間や環境が変わっても、2人の幸せの探求は止まらない。

 

てっきり読み切りかと思っていたのに、最後に「to be continued」の文字が。

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そう、連載だったのだ。

 

「鉄道マニア」「車マニア」「切手マニア」「ディズニーマニア」「ファッションマニア」「美容マニア」「健康マニア」etc……

世の中にマニアの数は多々あれど、共通点がひとつだけある。

それは「自分で区切りをつけない限り終わりは存在しない」ということ。

 

もうこの時点で「後ハッピーマニア」には、嫌な予感しかしない

でも、すでに第1話を読んでしまった。

『「ハッピー・マニア」マニア』も、自分で区切りをつけなきゃ終わらない。

そして私は区切りをつけることができない。

 

かつて「ハッピー・マニア」を読んでいて、「今さら『ハッピー・マニア』の続編とか……」と躊躇しているなら、止めておいたほうがいいかもしれない。

きっと追い続けてしまうから。

 

ただし、これだけは言っておく。

「フクちゃんの16年後のすっぴんだけでも見る価値はある」

と。

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……そんなことを思った一日。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分なりの価値を持つということと、オチビサンの「卵焼き器」@足立区

いきなり安野モヨコさんについて語り出したのは、訳がある。

オチビサンの卵焼き器 オトナの見学ツアー」へ参加したのです。

 

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可愛らしいオチビサンとシロッポイが集合場所の目印でした。イラストはこの日のために、安野さんが描き下ろしたそう!

 

これは、オチビサンのグッズとして販売予定である「卵焼き器」の製作過程を実際に見学できるツアー。オチビサンのグッズは今までにもいろいろと販売されているけれど、素材にこだわりがあって、どれも大切に使いたくなりそうなものばかりだった。

 

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参加者には、ネーム入りの名札が配られました。オチビサンカラーに描き下ろしイラストまで!あまりの手の込み用に、「参加費ぼったくられるんじゃ……」と不安になったのは、秘密。(※完全無料)

 

今回の「卵焼き器」も例に漏れず、銅製の卵焼き器らしい。

銅製と聞くと、「レストランとかで使われている職人が使う道具。扱い難しそう」というイメージしかない。そして私は料理が苦手。さらに上達しようという気概もない。

鍋やフライパンを買う時の基準は、

「どんな火加減でも焦がしてもこびりつかないもの」

一択だった。

 

本当にただの興味本位の私が連れて行かれたのは、足立区にある「中村銅器製作所」。

ちなみに、「中村銅器製作所」で作られている調理器具は、その質の良さから職人御用達なのだとか。「銅製」であることはもちろん、柄の角度や重さにもこだわりを持って作っているそうです。

 

実は、祖父母宅が足立区にある私。小さい頃には、近所にこうした小さな工場(?)が点在していて、「キュイーン」とか「カーンカーン」とかいう音が聞こえていたのを思い出した。

今はもう住人が変わりつつあって、新しい住宅がどんどん建ってしまっている。こうした風景はどんどん失われているのかもしれない。

 

そんなことを思っていた私の目にいきなり飛び込んできたのは、山積みの「卵焼き器(未完成)」。

 

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ちょっとアートな絵が撮れた。

 

もともとは、人の背を超すほどの長い長~い銅板を切断して、

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さらに、それぞれの角をさらに切断、

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一面に柄を付けるための穴を開けたら、四面すべてに角度をつける。

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こんな形になります。まるで折り紙みたい。

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それぞれの機械たちも、昭和レトロのいい味を出しています。

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こちらは角度をつける(曲げる)機械。昔のものって、どっしりとしていて威厳があるので、好きです。昭和初期のアイロンとかミシンとか。

この後に、「錫(スズ)引き」を行います。

錫メッキじゃなくて、錫を焼き付けているのが中村銅器製作所の特徴でもあるんだとか。

錫を塗りつけることで、メッキよりも剥がれにくく、銅の錆を防ぐ効果と料理の味をまろやかにする効果があるそう。

そしてこの錫引き、すべて手作業で行われていました。

 

何の変哲もないコンロに、「卵焼き器(未完成)」を載せて火を付けます。

錫の融点は約230℃なので、「卵焼き器(未完成)」がこの温度になるまで温める。

そして錫のバーを溶かしながら塗りつけるのですが、これが見ていてとても面白い。

(さらに暑い!!!!)

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錫引きビフォア・アフター&錫。

錫引きが終わると、全体をやすりがけ。これも一つ一つをしっかり確認しながら、すごく丁寧に仕事をしていました。

 

そして、最後は柄の取り付け。

 

柄の端には、焼きゴテで印を入れるのですが、この印は、オチビサンの「丸に禿」の家紋!

「やってみる?」と誘われて、試しに入れさせていただいたのですが……難しい!!!!

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みんなで焼ゴテを入れるものの、綺麗に入れるのは相当難しい。

 

こちももちろん手作業なので、ひとつひとつ色やかすれ具合が違います。

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どんな雰囲気の家紋がやって来るのかも、楽しみのひとつになりそうです。

 

ちなみに、オチビサンもこっそり隠れています。

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キャラクターが全面に主張しているものは、いつか飽きがきそうで手を出しづらいけれど、家紋もオチビサンのシルエット型も、銅製の卵焼き器のシックな雰囲気を壊さないさり気なさですごく良い。

 

今回のツアーに参加して一番良かったことは、「モノ作り」の良さに触れられたこと。

自分が普段使っている何気無いモノたちは、どうやって作られているのか見たことが無いものばかり。

こうして製作過程を見ると、「大切に使わないと」という気持ちがふつふつと湧いてきます。

物欲が激しいけれど、身の回りをシンプルにしたくて、発作的に断捨離を敢行する私。

そもそも、愛情が芽生えたモノだけを買えばいいんじゃないの? と考えを改めました。

自分の持っているモノにそれぞれエピソードがあって、そうしたモノたちに囲まれていたら、すごく素敵な暮らしができそうだし。

モノには値段が付いていて、お金を払えば誰でも購入できる。

たくさんお金を払ったものほど捨てにくい(多々経験済)けれど、それは単なる執着であって、本当に「好き」で「自分にとって価値がある」かどうかは分からない。

もういい年だし、そろそろ値段ばかりで買う・買わないを判断するのは止めて、作り手の思いとか、買うまでの気持ちを重視していこうと決意しました。

 

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先日、「オチビサンの卵焼き器」の販売が始まったと報せがきたので、迷わず購入。

銅製で扱いが繊細。錫はやがて剥がれてくるから、お直しも必要。

私にはまだまだ手に余る品物だけれど、ツアーへ参加して初めて感じた「モノ作り」への思いを忘れないよう、一緒に成長して行こうと思いを込めて買いました。

 

いつか得意料理に「卵焼き」がラインナップされたらいいなぁ……。

……なんてことを思った一日。

 

 

 

この後の前フリとして、安野モヨコさんについて語る@自宅

友人や知人には自分から話さないけれど、私は漫画が好きだ。

「漫画」という存在そのものが。

 

現在住んでいる部屋には漫画が日々増殖しているし、近所にある実家の天井裏(ロフト?)には本屋が開ける量の漫画が置いてある。

 

いつか一部屋を天井まで届く本棚で埋め尽くしたい。本棚には漫画とCD(あくまでCD!)、座り心地の良い真っ赤なソファと小さな濃いブラウンのウッドテーブルを置き、お気に入りのいくつかの香水(その時読む漫画に合わせてシュッとやるの)と音楽、そして絵を飾る。できればホットコーヒーも飲みたいので、キッチンが必要か? ガスコンロでなんとかなるか? ビジュアル的にNGか。

そんな野望を抱いている。

 

タイトルに入れた安野モヨコさんは、漫画はもちろんだけれど、生き様が好きな人。

いや、会ったことないから、本当の所はぜんぜん分からない。

分からないけれど、漫画やエッセイからにじみ出てくる人間性が好き。

 

当時、中学生だった私が「ハッピー・マニア」で「オトナのエロい恋愛」に衝撃を受け(※ストーリーはそれだけじゃないんだけれど、まだ中学生だった私には理解できない部分がたくさんあったのだ)、高校生の時には「ラブ・マスターX」のモデルになった場所が超絶近所でキャッキャして(※こちらも当時の私の脳では、ストーリーは難しかったのだ)、大学生の頃にもなると漫画では飽き足らず、「美人画報」シリーズ、「日記書いてる場合じゃねえよ」「ロンパースルーム」などにも手を伸ばし、とにかく安野モヨコさんの描いた(書いた)ものはすべて読んできたのではないだろうか。

 

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これらに加えて「美人画報」シリーズは今でも読む。時代を感じる部分もあるけれど、それでも楽しめてしまう内容。

 

私には、彼女がなぜこんなにも魅力的に映るのか。

10代~20代前半くらいまではイラストよりも、「お洒落な漫画家」として安野さんそのものの動向が気になっていたように思う。バリバリ働いて、素敵な事務所を構えて、洋服のセンスも良くて、美容にも精通していて。若い娘が「将来はこうありたい!」と憧れる要素だらけの人として見ていた。彼女が描いた漫画に触れられることもあって、女優やモデルよりも少しだけ身近に感じられたのも大きいのかもしれない。

 

その後、社会人として働き始めて、ようやく形だけでもオトナになった私は、安野さんの漫画にずいぶん助けられていた。仕事で悩んだり、恋愛に悩んだり、その他もろもろで落ち込んだりした時に、彼女の漫画を読むと、気分が少しだけスッキリする。そして、元気の欠片のようなものがポツポツと体に灯り始める。

この頃から「ハッピー・マニア」や「ラブ・マスターX」も繰り返し読むようになった。(この2作品は、年を取るごとに感じ方が変わるので、今でもたまに読み返す)

 

20代後半になると、若い頃とは別の感性が働き始めて、言葉に表せない感情がどんどん出てくるようになった。強いて言うなら、自我が激しくなったような、焦るような、「私がやりたいことって何よ! っていうか私って何なのよ!」みたいな。

とにかく自暴自棄というか、自分でも訳が分からない、整理のつかないモノに押しつぶされそうになっていた時、目の前に現れたのは「オチビサン」だった。

それまで安野さんのパワフルな漫画に助けられていたのが、今度はふんわりとしつつキッパリとした優しい漫画に助けられた。助けられすぎだろう。いくらなんでも。

 

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太田出版から刊行されていた「hon-nin」には、「よみよま(黄泉夜間)」が掲載されていた。作中のセリフや文章がすごく好き。

 

去年、開催された展示会「STRIP!」を見に行った時、思わず見とれて立ち尽くした一枚絵がある。

この人は、どれだけのしんどい事や、苛立ちや、怒りや、悲しみに立ち向かってきたんだろうと思ったのだ。

しばらく仕事をお休みしていたこともあったから、先入観があったのかもしれない。それでもこんなにインパクトがあって、人を立ち止まらせる絵が描けるなんて、その人の生き様に説得力が無いと無理なんじゃないか。

 

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部屋の小さな本棚に飾っている画集「STRIP!」。仕事が進まない時の気分転換にすごく重宝してる。ちなみに、隣は「the COVETEUR」という海外のお洒落野郎のクローゼットを集めた画集(?)。

 

一人で熱くなってしまい、会場の出口付近で売られていた版画に手が伸びた。

「私は、これを買わねばなるまい」

そうして金額を目にして、冷静になる。

フリーランスとして仕事を始めた私には、ちょっぴり怖い金額だった。

泣く泣くポストカードで我慢をした。

 

それでもいつか、あの版画を買おうと決めている。

そう、私の野望が叶った時に、部屋に飾る絵にするのだ。

 

……そんな愛を語りまくった一日。 

 

 

 

 

 

 

 

 

100円の神頼みと夜光虫@鎌倉その2

※続きのお話

 

日帰りでも充分楽しめる鎌倉で一泊する理由は、美味しい夕飯と美味しいお酒をたらふく食らうためだ。それに今回は、夜光虫も見なければならない。

「後半戦」に備えて一度宿へ戻り、チェックアウトを済ませると、仮眠を取る。

朝が早かったので、前日寝ていなかったのだ。早朝出発が苦手な私は、いつも眠らずに朝を迎えてしまう。

目が覚めると、さっぱりとした気分でお腹もそこそこ空いている。

気になったいくつかのお店へ予約を入れるも、どこも満席。キャンセル待ちにしてもらい、連絡先を告げて電話を切る。

「もう居酒屋でいっか……。焼肉でビールにするか……」

諦めムードでとりあえず由比ヶ浜へ向かう。日没に合わせて海岸へ行って、夜光虫が出て来るのを待ち構えるためだ。

あれだけ暑かった日中とは打って変わって、肌寒い。

コーヒーを買って飲んでも、歩き回っても、どんどん体温を奪われて行く。

おまけに潮で髪も肌もベタベタしてきた。

 

日没の時間を過ぎても、夜光虫は姿を見せない。海岸沿いの車の渋滞で、真っ赤なランプがどこまでも続いている。

これ、本当に見られるの? こんなに明るくても光るものなの?

だんだん不安になってくる。すでに1時間以上待っているのだ。行列が嫌いなのに。

そうこうしていると、さっき飲んだコーヒーのせいかトイレに行きたくなってきた。

その場にいるのも飽きてきたので、近くの公衆トイレへ向かう。

トイレを済ませて、風でぐちゃぐちゃになった髪を整えて、外へ出る。

 

そこは一面、コバルトブルーの海へ変わっていた。

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夜光虫だ。

(※画像は動画から切り取ったものなので、画質がいまいち)

 

波が立つとそこここに、蛍光色が現れる。

思わず歓声をあげてしまった。

自然界に不似合いなその色は、神秘的で異質で怖いくらいに綺麗だった。

大昔の人は、これを見たら恐れ慄いたのじゃないだろうか。

私のつたない言葉では表現できない感情がこみ上げてきて、黙ったまま海を食い入るように見続ける。

 

もう夕飯は何でもいいや。

こんな光景見られたんだから、お腹いっぱいだ。

満足するまで海を眺めたらそんな気になって、小町通りを目指して歩き始めた。

するとスマホが鳴る。電話に出ると、一番行きたかったお店から、席が空きそうなので予約が取れますよ、という連絡だった。

 

なんだか今日はついてるぞ。

大喜びでお店へ向かう。

私の「嗅覚」は本当に素晴らしい。

目当てのお店は、分かりづらい場所にある何の変哲もないビルの一室にあるものの、店内はとても雰囲気が良い。小洒落ているのに店員が気さくで、肩肘を張らなくていい、心から料理とおしゃべりを楽しめるお店だった。

お酒と料理を存分に味わってお店を出たものの、夜は長い。

まだまだ飲み足りずに、2軒目を探し始める。

すぐ近くに、これまた雑居ビルのような建物の2階に、飲めそうなお店を見つけた。

ちょうど席が空いていたものの、常連さんがいっぱいで、若いやんちゃそうな店主がひとり。

ちょっと居心地の悪さ感じつつ、焼酎を頼んで連れとぼそぼそ会話をしていると、それまで常連とおしゃべりをしていた店主の言葉に、連れが反応する。

いきなり店主へ

「●●●!? 横浜の☓☓☓で飲んでた●●●!?」

と叫んだ。

 

連れがかつて住んでいた横浜では、とんでもなくきっぷのいい沖縄料理屋があって、そこで毎週末知らない人も知っている人もみんなで仲良く酒を飲んでいたそうだ。

どうやら店主と連れはその店で会っていたらしい。

偶然の再会にいたく驚いて、それまでの「新参者」としての居心地の悪さは消えてしまい、会話が弾む弾む。私もいつの間にか、お店の常連さんと一緒に飲んでいた。

少し変わり者の数学者に、エリート商社マンのサーファー、みんな話が面白い。

あっという間に日付も変わり、お店の閉店時間も過ぎてしまった。

千鳥足の連れと小町通りへ戻ると、昼間の混雑が嘘のような静けさだった。

 

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ろくに会話もままならない連れと歩きながら、鶴岡八幡宮へ続く通りを眺める。

今日の夜光虫は、見慣れた地元の人でもめったに見られないほどの美しい景色だったそうだ。

お店の予約にキャンセルが出なければ、美味しい夕飯にはありつけなかったし、あの小道にあるバーにも行くことはなかった。偶然の再会は永遠に訪れなかっただろう。

 

きっと鎌倉で生きる人の幸せを気まぐれに願った私へ、鎌倉の神様が小さな贈り物をしてくれたのだ。

無宗教だし、神に祈る習慣はないけれど。

暑さが和らいで紅葉が見頃になったら、今度は年末の宝くじを買うための諭吉を洗いに行くだろう。その時には再び寿福寺を訪れて、「ありがとうございました」とお礼を告げに行かなければ。

 

そう思ったGWの思い出。

 

 

 

100円の神頼みと夜光虫@鎌倉その1

今年のGWは予定もなく、急遽、一泊で鎌倉へ。

神社やお寺は私にとって、美術館巡りと同じだ。歴史をさかのぼって、建築物を見て、少し背筋を伸ばしたら、おしまい。

神様はいてもいなくても、生活に支障はない。

それでも今回の鎌倉では、どうやら「神様」に会ってしまったようなのだ。

 

GWの小町通りは予想通りの混雑ぶりで、ランチはどこも行列だらけ。

並ぶことが大嫌いな私は、そんな行列に並ぶわけもなく、うんざりしながらお店を探し続けた。

もう生しらすなんてどうでもいい。とにかくすぐに入れるお店を。

そんな願いが届いたのか、小町通りを少しはずれた場所で、一軒だけ行列のないお店を見つけた。

 

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周囲は人でごった返しているのに、なぜかそこだけひっそりとしている。

「美味しくないのかな?」

と、一瞬思ったが、絶対にそんなことはない。私は、「美味しいお店を嗅ぎ分けられる」という素晴らしい嗅覚を持っている。今まで外したことは一度もない。

ここは絶対に大丈夫。それに生しらす丼もある。

 

店内はカウンターのみだった。店主は愛想が良いわけでも悪いわけでもなく、淡々と黙々と調理をしている。このかきいれ時に、たったひとりでお店を回していた。

 

「お母さまの具合はいかが?」

私の3つ隣に座った女性が店主に話しかける。彼女は鎌倉の人のようで、声や(ちらりと盗み見た)容姿は、「粋」という言葉がしっくりとくる人だった。

「体調は問題ないんですけど、目を離すと厨房に出てきてしまって。体が覚えているんでしょうかね」

「そうなの。それよりあなた、すっかり顔がお父さまに似てきたわ」

 

どうやら店主の父親はすでに亡く、母親は痴呆が始まっているようだ。

二人の会話が耳に入ってくるままにしていると、注文した料理が運ばれてきた。

 

「生しらすはそろそろ旬が終わります。今日獲れたものはそれでもなかなか味の良いものですよ」

そう言いいながら、丼をカウンターへ置く彼と目が合った。次回お店を訪ねても、きっと覚えていることができないだろう、どこにでもいる顔つきをしていた。

 

ぷりぷりの生しらすは臭みもなく、ふわりと磯の匂いを運んでくれる。最初は生しらすのみ。そのあと生姜を少し混ぜて、最後はごはんと一緒に。ごはんは出汁と炊いているのか、茶色くてやさしい味がする。

 

「よくお稼ぎを」

食事が済んだのか、例の「粋」な女性はそう告げて店を出た。

なんてかっこいい言葉なんだ。私もいつか使いたい。

 

彼女の言葉を心に、生しらす丼を夢中になってかきこんでいると、「こっちに来たらダメだよ!」と店主が大きな声をあげた。

顔をあげると、パジャマのような服を来たおばあさんが、いつの間にか厨房にいる。

「お茶を入れないと……」

弱々しい声で店主へ告げる。

「いいんだよ、そんなことは。早く戻って」

厳しくはないけど、きっぱりとした声で店主がおばあさんを急き立てる。

 

ああ、痴呆が始まったというお母さんなんだな、と思った。

それまで無心で食べていた生しらす丼が、急にのどにつかえてしまう。

数年前に亡くなった、私を溺愛していた祖母を思い出す。彼女も最後は、激痛のなかで意識が混濁していたのだ。

 

少ししんみりしながら食事を終えて、店を出る。

この後は、鎌倉の穴場スポット「寿福寺」へ向かう。

てくてくと歩きながら、あの店主とおばあさんのことが頭から離れない。

ぐるぐるぐるぐる。

私が巡らせてもどうしようもないことなのに。

 

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寿福寺は、予想通り人が少なく、すぐに参拝できた。

ちなみに午前中は、宇賀福神社(銭洗弁財天)で諭吉を1枚洗っている。

この時期に願うことはただひとつ。

サマージャンボが当たりますように……!」

宇賀福神社でもその後に訪れた安養院でも、この言葉を心の中で繰り返し祈った。

寿福寺でも、もちろんその予定だった。

 

それなのに。

「あの店主とおばあさんが、どんな形であれ幸せで笑顔のある生活を送れますように」

まったくの赤の他人が、たった一場面を見てそんなことを思うのは、はっきり言ってむしずが走る。偽善者もいいところだ。気持ち悪い。

それでもその時は、私の頭の中の「ぐるぐる」を追い払うのに必要だった。

神様に預けたのだ。

 

寿福寺を出てもまだまだ時間はある。思い切って由比ヶ浜まで足をのばした。

すると海は一面真っ赤。せっかくの晴天に似つかわしくない、汚い海だった。

 

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がっかりしながら、砂浜を歩いていると、

「夜光虫見られるんじゃない?」

という近くの人の会話が耳に入った。

夜光虫? 海が赤いと夜光虫が見られるの?

何の知識もないので、スマホで調べてみる。

赤いものはどうやらプランクトンで、夜になればそれが発光するらしい。

夜光虫なんて見たことのない私は、がぜん興味が湧いてしまい、夜になったら再び訪れようと決めた。

 

※今日は長いので、いったん区切ります。

 

自然体で生きる人と、山形の野菜@上野

出版社での編集業を辞めて、フリーランスライターとして働くこと1年。

いつの間にか仕事も増えて、まったく有名ではないけれど、そこそこ生活はできるようになってきた。

いろいろな人と出会って、思いもよらない価値観に衝撃を受けたり、自慢話に疲れたり、なぜか涙を流しそうになったり。

「新しいこと」に引き寄せられてしまう私には、今の仕事が楽しくて仕方がない。

 

今日出会った人は、前から会って話してみたかった人。どんな雰囲気でどんな喋り方をするのだろうと、すごく興味があった。

実際に会ってみると、雑多で小汚くて喧騒にまみれた都会にいても、少しもそれに影響されない人だった。

しなやかで軽やかで、実体はしっかりあるのに、次の瞬間パッと消えても不思議じゃない人。室内にいるのに、砂漠とか青い空とか緑とか海とかを思わせる、やたら自然に近い人。

 

彼女はずっと世界を巡っていて、現在は日本にいるけれど、それでもひとつのところに留まらない。

なぜなら、「それが好きだから」。

本能の赴くままに生きているのではなく、自分の「好き」を見つけるのが上手なのだ。

媚びるでもなく、威張るでもなく、思ったことを自分の言葉で紡いでは、時おり大笑いをする。

一見、柔らかそうだけれど、実はとてつもなく芯が太い女性なのだな、と思った。

取材はとても楽しくて、そして普段の倍は緊張して、何やらつたないインタビュアーになってしまった。もっと聞きたいことがたくさんあったのだけれど、それは仕事とは関係のないこと。いつかまた出会う機会があったら、その時の楽しみにとっておこう。

 

ビルを出ると、夏の強烈な西日が照りつける。

上野の駅周辺は、いつの間やら様変わりしていた。

それでも小道に入れば、怪しげな喫茶店とか、決しておしゃれとは言えない、でもなぜか美味しそうな居酒屋とか、10年前に練り歩いた場所は残っている。

だけど、日本橋で金融業の営業をしていた長い髪(しかも軽く茶髪)にスーツとパンプスの私はもういない。

別に思い入れがある町じゃないのに、なぜか疎外感を味わってしまった。

年のせいかな、と思ったところで、彼女の言葉を思い出す。

 

「残りの人生で、今が一番若い」

 

そりゃそうだ。

と、今度は笑いがこみ上げてきて、大嫌いな歩道橋の階段を勢いよく上る。

今日おろしたこのパンプスだって、(値段以外は)およそ年齢にはそぐわないものだろう。それでも仕方ない。ピンときたから、好きだと思ったから、気付いたら買ってしまっていたのだから。

 

駅では「山形産直市」なるものが催されていて、地場の美味しそうな野菜がたくさん売られていた。食べたらパワーをもらえそうな気がして、ビニール袋いっぱいの野菜やキノコ類を買って帰る。

自宅で野菜をほおばると、新鮮でちょっぴりえぐみのある味が口いっぱいに広がった。

 

私もいつか旅に出たくなるのだろうか、と食べながら考えた。

彼女のように、放浪してはいろんなものを吸収して、いらないものを手放して、自然体で生きていくことはできるのか。

たぶん、無理だろう。

飛行機は嫌いだし、芝生に生えてる草木とかでかぶれるし、言葉は不安だし、そんな勇気はどこにもない。

それに、私は生まれ育った東京が「好き」なのだ。他で暮らしたことがないから比較はできないけれど、雑多で小汚くて喧騒にまみれたこの場所を、間違いなく愛してる。

 

彼女は彼女。私は私。そして、誰かは誰かの価値観がある。

 

それを笑顔できっぱり言い切れる、そしてお互いの価値観を交換できる。

そんな人間になりたいな、と思う。

 

……そんなことを思った一日。