煩悩パラダイス

フリーランスライターの日々の雑記帳

「後ハッピーマニア」を七夕の夜に読んで思うこと@自宅

本日(7月7日)発売の「フィールヤング」に、「後ハッピーマニア」が掲載されました。16年前の「ハッピー・マニア」の続編。

 

午後からの打ち合わせが夕方へ変更になったので、「ラッキー」と午前中から本屋へ走り、久しぶりに月刊誌を購入。

 

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ハッピー・マニア」の連載当時は中学生だった私も、現在はいいオトナ(アラフォー)になり、

「ようやくフクちゃんとシゲカヨに追いついた……。続編は同じ目線で読めるのね」

と感慨に耽っていたのです。

なんとなーく、「後ハッピーマニア」は、「ハッピー・マニア」終了から5年~7年くらいの話かな? なんて漠然と思っていたのです。

 

甘かった。

きっちり16年後のお話でした。

シゲカヨ45才!!!! あと5年で50才!!!!

 

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少女漫画で「主人公45才」ってある? そもそも「有り」なの?

驚きと同時に、すごくワクワクして嬉しくなりました。

「シゲカヨはこれからも、ずっと私の先を走ってくれるんだ……!」

って思ったから。超えられない壁。いや、超えちゃいけない壁?

 

年齢を重ねたシゲカヨ&フクちゃんは、最初からへビイかつぶっ飛ばしていました。

読んでいくうちに、「ハッピー・マニア」の(私的)名言が頭の中に蘇る。

 

「震えるほどの幸せが欲しい それはどこにあるのかな」

「男も女も浮気する 一人じゃ足りないから」

「他のやつよりは多く埋められるのかもな… でも完璧じゃない」

「そう、完璧なヤツなんていない」

「永遠の愛なんて誓えない」

「本当はこの世の誰もそんなの誓えない」

 

私が「ハッピー・マニア」を繰り返し読んでしまうのは、よくあるような「紆余曲折あるものの、最後は相手と結ばれて(もしくは別れて)お終い」ではないから。

愛だの恋だの日常生活だの、そこにある幸せに浮き沈みは必ずあって、それは生きている限り続いていく、ということを突きつけられてしまうから。

 

時には渋滞する車の屋根を走るシゲカヨ。フクちゃんのマンションの窓から逃亡するシゲカヨ。

その妖怪じみた行動は恋愛漫画に不似合いなのに、「恋愛の現実」についてはどの漫画よりもリアルだと思う。

 

ハッピー・マニア」と「後ハッピーマニア」の違いは、独身時代と結婚後のハッピーの求め方。取り巻く人間や環境が変わっても、2人の幸せの探求は止まらない。

 

てっきり読み切りかと思っていたのに、最後に「to be continued」の文字が。

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そう、連載だったのだ。

 

「鉄道マニア」「車マニア」「切手マニア」「ディズニーマニア」「ファッションマニア」「美容マニア」「健康マニア」etc……

世の中にマニアの数は多々あれど、共通点がひとつだけある。

それは「自分で区切りをつけない限り終わりは存在しない」ということ。

 

もうこの時点で「後ハッピーマニア」には、嫌な予感しかしない

でも、すでに第1話を読んでしまった。

『「ハッピー・マニア」マニア』も、自分で区切りをつけなきゃ終わらない。

そして私は区切りをつけることができない。

 

かつて「ハッピー・マニア」を読んでいて、「今さら『ハッピー・マニア』の続編とか……」と躊躇しているなら、止めておいたほうがいいかもしれない。

きっと追い続けてしまうから。

 

ただし、これだけは言っておく。

「フクちゃんの16年後のすっぴんだけでも見る価値はある」

と。

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……そんなことを思った一日。