100円の神頼みと夜光虫@鎌倉その1
今年のGWは予定もなく、急遽、一泊で鎌倉へ。
神社やお寺は私にとって、美術館巡りと同じだ。歴史をさかのぼって、建築物を見て、少し背筋を伸ばしたら、おしまい。
神様はいてもいなくても、生活に支障はない。
それでも今回の鎌倉では、どうやら「神様」に会ってしまったようなのだ。
GWの小町通りは予想通りの混雑ぶりで、ランチはどこも行列だらけ。
並ぶことが大嫌いな私は、そんな行列に並ぶわけもなく、うんざりしながらお店を探し続けた。
もう生しらすなんてどうでもいい。とにかくすぐに入れるお店を。
そんな願いが届いたのか、小町通りを少しはずれた場所で、一軒だけ行列のないお店を見つけた。
周囲は人でごった返しているのに、なぜかそこだけひっそりとしている。
「美味しくないのかな?」
と、一瞬思ったが、絶対にそんなことはない。私は、「美味しいお店を嗅ぎ分けられる」という素晴らしい嗅覚を持っている。今まで外したことは一度もない。
ここは絶対に大丈夫。それに生しらす丼もある。
店内はカウンターのみだった。店主は愛想が良いわけでも悪いわけでもなく、淡々と黙々と調理をしている。このかきいれ時に、たったひとりでお店を回していた。
「お母さまの具合はいかが?」
私の3つ隣に座った女性が店主に話しかける。彼女は鎌倉の人のようで、声や(ちらりと盗み見た)容姿は、「粋」という言葉がしっくりとくる人だった。
「体調は問題ないんですけど、目を離すと厨房に出てきてしまって。体が覚えているんでしょうかね」
「そうなの。それよりあなた、すっかり顔がお父さまに似てきたわ」
どうやら店主の父親はすでに亡く、母親は痴呆が始まっているようだ。
二人の会話が耳に入ってくるままにしていると、注文した料理が運ばれてきた。
「生しらすはそろそろ旬が終わります。今日獲れたものはそれでもなかなか味の良いものですよ」
そう言いいながら、丼をカウンターへ置く彼と目が合った。次回お店を訪ねても、きっと覚えていることができないだろう、どこにでもいる顔つきをしていた。
ぷりぷりの生しらすは臭みもなく、ふわりと磯の匂いを運んでくれる。最初は生しらすのみ。そのあと生姜を少し混ぜて、最後はごはんと一緒に。ごはんは出汁と炊いているのか、茶色くてやさしい味がする。
「よくお稼ぎを」
食事が済んだのか、例の「粋」な女性はそう告げて店を出た。
なんてかっこいい言葉なんだ。私もいつか使いたい。
彼女の言葉を心に、生しらす丼を夢中になってかきこんでいると、「こっちに来たらダメだよ!」と店主が大きな声をあげた。
顔をあげると、パジャマのような服を来たおばあさんが、いつの間にか厨房にいる。
「お茶を入れないと……」
弱々しい声で店主へ告げる。
「いいんだよ、そんなことは。早く戻って」
厳しくはないけど、きっぱりとした声で店主がおばあさんを急き立てる。
ああ、痴呆が始まったというお母さんなんだな、と思った。
それまで無心で食べていた生しらす丼が、急にのどにつかえてしまう。
数年前に亡くなった、私を溺愛していた祖母を思い出す。彼女も最後は、激痛のなかで意識が混濁していたのだ。
少ししんみりしながら食事を終えて、店を出る。
この後は、鎌倉の穴場スポット「寿福寺」へ向かう。
てくてくと歩きながら、あの店主とおばあさんのことが頭から離れない。
ぐるぐるぐるぐる。
私が巡らせてもどうしようもないことなのに。
寿福寺は、予想通り人が少なく、すぐに参拝できた。
ちなみに午前中は、宇賀福神社(銭洗弁財天)で諭吉を1枚洗っている。
この時期に願うことはただひとつ。
「サマージャンボが当たりますように……!」
宇賀福神社でもその後に訪れた安養院でも、この言葉を心の中で繰り返し祈った。
寿福寺でも、もちろんその予定だった。
それなのに。
「あの店主とおばあさんが、どんな形であれ幸せで笑顔のある生活を送れますように」
まったくの赤の他人が、たった一場面を見てそんなことを思うのは、はっきり言ってむしずが走る。偽善者もいいところだ。気持ち悪い。
それでもその時は、私の頭の中の「ぐるぐる」を追い払うのに必要だった。
神様に預けたのだ。
寿福寺を出てもまだまだ時間はある。思い切って由比ヶ浜まで足をのばした。
すると海は一面真っ赤。せっかくの晴天に似つかわしくない、汚い海だった。
がっかりしながら、砂浜を歩いていると、
「夜光虫見られるんじゃない?」
という近くの人の会話が耳に入った。
夜光虫? 海が赤いと夜光虫が見られるの?
何の知識もないので、スマホで調べてみる。
赤いものはどうやらプランクトンで、夜になればそれが発光するらしい。
夜光虫なんて見たことのない私は、がぜん興味が湧いてしまい、夜になったら再び訪れようと決めた。
※今日は長いので、いったん区切ります。