自然体で生きる人と、山形の野菜@上野
出版社での編集業を辞めて、フリーランスライターとして働くこと1年。
いつの間にか仕事も増えて、まったく有名ではないけれど、そこそこ生活はできるようになってきた。
いろいろな人と出会って、思いもよらない価値観に衝撃を受けたり、自慢話に疲れたり、なぜか涙を流しそうになったり。
「新しいこと」に引き寄せられてしまう私には、今の仕事が楽しくて仕方がない。
今日出会った人は、前から会って話してみたかった人。どんな雰囲気でどんな喋り方をするのだろうと、すごく興味があった。
実際に会ってみると、雑多で小汚くて喧騒にまみれた都会にいても、少しもそれに影響されない人だった。
しなやかで軽やかで、実体はしっかりあるのに、次の瞬間パッと消えても不思議じゃない人。室内にいるのに、砂漠とか青い空とか緑とか海とかを思わせる、やたら自然に近い人。
彼女はずっと世界を巡っていて、現在は日本にいるけれど、それでもひとつのところに留まらない。
なぜなら、「それが好きだから」。
本能の赴くままに生きているのではなく、自分の「好き」を見つけるのが上手なのだ。
媚びるでもなく、威張るでもなく、思ったことを自分の言葉で紡いでは、時おり大笑いをする。
一見、柔らかそうだけれど、実はとてつもなく芯が太い女性なのだな、と思った。
取材はとても楽しくて、そして普段の倍は緊張して、何やらつたないインタビュアーになってしまった。もっと聞きたいことがたくさんあったのだけれど、それは仕事とは関係のないこと。いつかまた出会う機会があったら、その時の楽しみにとっておこう。
ビルを出ると、夏の強烈な西日が照りつける。
上野の駅周辺は、いつの間やら様変わりしていた。
それでも小道に入れば、怪しげな喫茶店とか、決しておしゃれとは言えない、でもなぜか美味しそうな居酒屋とか、10年前に練り歩いた場所は残っている。
だけど、日本橋で金融業の営業をしていた長い髪(しかも軽く茶髪)にスーツとパンプスの私はもういない。
別に思い入れがある町じゃないのに、なぜか疎外感を味わってしまった。
年のせいかな、と思ったところで、彼女の言葉を思い出す。
「残りの人生で、今が一番若い」
そりゃそうだ。
と、今度は笑いがこみ上げてきて、大嫌いな歩道橋の階段を勢いよく上る。
今日おろしたこのパンプスだって、(値段以外は)およそ年齢にはそぐわないものだろう。それでも仕方ない。ピンときたから、好きだと思ったから、気付いたら買ってしまっていたのだから。
駅では「山形産直市」なるものが催されていて、地場の美味しそうな野菜がたくさん売られていた。食べたらパワーをもらえそうな気がして、ビニール袋いっぱいの野菜やキノコ類を買って帰る。
自宅で野菜をほおばると、新鮮でちょっぴりえぐみのある味が口いっぱいに広がった。
私もいつか旅に出たくなるのだろうか、と食べながら考えた。
彼女のように、放浪してはいろんなものを吸収して、いらないものを手放して、自然体で生きていくことはできるのか。
たぶん、無理だろう。
飛行機は嫌いだし、芝生に生えてる草木とかでかぶれるし、言葉は不安だし、そんな勇気はどこにもない。
それに、私は生まれ育った東京が「好き」なのだ。他で暮らしたことがないから比較はできないけれど、雑多で小汚くて喧騒にまみれたこの場所を、間違いなく愛してる。
彼女は彼女。私は私。そして、誰かは誰かの価値観がある。
それを笑顔できっぱり言い切れる、そしてお互いの価値観を交換できる。
そんな人間になりたいな、と思う。
……そんなことを思った一日。